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2020/05/15

夏の高校野球を開催した方が良い理由

前提として

風邪やどんなウイルスでもリスクゼロは不可能。

では早速。

【開催した場合のリスク】
*感染拡大

【開催しなかった場合のリスク】

*夢を失い自暴自棄になった高校生が街中に繰り出す。(感染拡大)

*運動神経良いヤンキーが甲子園を目指す事が多い。ヤンキーは溜まりがち(感染拡大)

*休みなれば女の子と会いがち(濃厚接触)

*イオン行きがち(感染拡大)

*野球留学生は故郷に帰る。地元の友達と遊ぶ。周りの目を気にして誰かの家に集まる。(三密)

(つまり開催しようがしまいが、リスクとは向き合う必要がある。)

【開催する為に】

*持病がある選手は別として、高校野球するような人間は免疫が強い(なので本人感染は最悪やむなし)

*電車通勤は緊急事態宣言下でも許され、そういった中でも集団感染はある程度抑えられている。仕事では無いが高校生の夢は不要不急で無く、必要で非常に大切な事。

*代替案として試合会場まで親御さんもしくは乗り合い自家用車で移動する。

*コロナ感染選手は外されるペナルティを課す事で、予防意識メチャくちゃ上がる。(体温検査)

*審判も特別措置として、若い見習い審判にもチャンスを与える良い機会

*運営も同じく若手中心にする事で新たなアイデアが生まれる

*入場行進は無し、炎天下、長〜〜〜い挨拶を聞かなくて済む。どうしても挨拶したいなら最悪リモートで。それなら聞かなくて済む。

*60歳以上の高野連関係者は会場に足を運ばず、今回に限っては若いチカラに託す。(育成)

*放送局ももちろん現場は若手が仕切る事で新たな発見が生まれる。

etc….他にもなんぼでも。。逆にエェ事尽くしやん。

無観客、親御さん、関係者のみの応援でも良いんよ。TVでやってくれたらめちゃくちゃパワー貰うよ。

「選手宣誓」1人だけがグランドに立って。。それだけでも涙出てくるよ。

強豪校を選んだ選手達にとっての【甲子園】はその子だけの夢じゃなくて、家族、地元の仲間みんなの夢も背負ってるんよ。

以上。だから絶対に

【やった方が良い】

 

 

 

 

2020/04/30

少々野暮な気もしますが。。。

関ジャムがなかなか取り上げてくれないので、自ら曲を紹介します。
一曲目は強のデビューアルバムから
 
冒頭の歌詞

この透き通るほど晴れた空を見上げて歌を歌えば

きっと今は遠く離れたアナタにまで届くか、この歌声が

コレは亡き父への曲です。また野球が深く関係するのですが。
中学を卒業し甲子園に夢を馳せ、平安高校に入学した1年生の夏、新チームになってからも親父に見せれた姿は試合用ユニホームを着れずにオープン戦の交通整理を駐車場でしている姿だけでした。
メイングランドに入れない、いわゆる2軍以下の選手。
その年の秋に親父が心不全で急死。
通夜、葬儀と少しだけ休みをいただき、また直ぐに【高校野球】と言う戦場に戻りました。
もちろん突然、野球が上手くなるハズもありませんが、親父に平安のユニホームで野球している姿を見せれ無かった悔しさから、唯一メイングランドに入れた3ヶ所バッティングの球拾いの時、まだ近くに居るであろう“空を彷徨う親父に向かって”ひたすら大声を出し続ける日々。
何日も何日も続けていると、シート打撃のチャンスを与えていただき、右翼越え二塁打。
翌日、コーチ推薦で初めて念願の試合用ユニホームに袖を通し、ノックバット係として遠征に帯同しました。
神戸弘陵とのオープン戦、元気だけの僕が終盤で”お試し”での代打。
レフト前ヒット
次の試合も代打。ヒット。。ヒット。ヒット。
5打席くらいまでは連続でヒットを打ち続け、神様の悪戯がしばらく続きました
きっと親父が神様をそそのかしたんだろうなと。
そこからズバ抜けた成績を残す事は出来ませんでしたが、2年生春から3年生秋の国体までベンチに入れていただき、副主将とし最後の最後に一桁の番号を背負えた事は、生きていく上で大きな誇りと自信になりました。
親父が死んでいなければ、また違ったシナリオが用意されていたハズですが、きっと甘えたままの選手で終わっていたと思います。
広島カープの赤松さんや一学年上の先輩方。
高校時代は鬼に見えましたが、今は全員カッコイイ姿を見せてくれる一生の先輩
【野球選手になってやると決めた、一億円もろたら家はビルごと買ってやるから、オカンと住めや】
当時は一億円プレーヤーが一流への入り口だった様に強の歌にはその時代を象徴する歌詞が多く散りばめてあります。
【家族みんなで遠くに出かけた、親父の手には8ミリカメラ だからどれを見ても写って無い、残したのは思い出だけか】
遺品や沢山の写真を整理していく中で、家族全員での写真や映像が僅かしかなかったのは、ほとんど親父が撮ってくれてたからか。
そんなこんなで、道ハズレちまったけど見ててくれよどっかで、んで言ってくれ
「あぁじゃねぇこうじゃねぇ、やけどお前が決めた道だからしょうがねえ
享年55歳。仮に僕もそこがゴールならもう折り返しは過ぎてるな、とか、記憶がある頃からを考えると親父と僕の思い出は10年にも満たないのかな。とか、、
実感が無きままにこの世を去り、お墓参りや仏壇に手を合わせる事が生活の一部として通り過ぎていく中で
子を持つ親となった今、親父が生きていたら聞きたい事や共に見たかった景色、会わせてやりたかった男(息子)の姿、それがふとした瞬間に湧いてきます、それを実感と言うのでしょうか、、
何より、
決して金持ちじゃ無いが、それはどこよりも愛に溢れた】
とありますが、父であり、自営業のクロス屋の職人として、月イチは必ず家族を焼き肉に連れて行ってくれていた事。
この歌詞を書いた10年前には全く解っていませんでしたが、月イチで家族を焼き肉に連れて行く事、大好きな野球を他府県の私学に下宿してまで挑戦させてくれた事がいかに大変な事か
家族を持ち、強烈に実感しています。
母もですが、やはり父はとてつもなく偉大だと。
【もう一度会えるだなんて思ってない けどこの歌はそこに届けたい でも俺は空なんて飛べない いつかいつかまた会う日まで】
【言葉では少し照れ臭いから音に乗せて伝えたい あなたのもとに生まれて良かったと】
自身の歌詞について、此処まで語る事は少々野暮な気もしますが、落ち込んだ世の中の温かい読み物として、みんなの傍に寄り添えたら幸いです。
まだまだ長いトンネルになりそうですが
こんな時こそ唱えましょう。
きっと、きっと

 
 
そんな強の

2020.9.5(土曜)ワンマンLIVE in服部緑地野外音楽堂 開催決定‼️
いかなる状況であっても
準備を進めるのみです。
皆さんのハッピーな笑顔にまた会えますように、一刻も早いコロナの終息を願います。